
私はモロッコのフェズという町で生まれた。なぜそこに生まれたのかは分からないし、それほど重要だとも思っていない。ただの事実として、そうだったというだけだ。年月が過ぎ、いくつもの国や場所、家を渡り歩いてきた。それらの場所もまた私を通り抜け、痕跡を残し、それが私の物語となり、今の私を形づくっている。
知らなかった場所に、なぜか辿り着いた
そして、ずいぶん時間が経ってから、まるで予期せぬ惑星の配置のように、私はこの場所にたどり着いた。これまで訪れたどの国よりも強く心に残っていた日本。その中でも、まったく知らなかった場所――宮津に。
名前が問いとして立ち上がる
宮津。この名前は、最初から私にとって「問い」だった。ここで生まれ育った人にとっては当たり前の名前なのだろう。でも私にとって、漢字の意味はすぐに注意を引いた。すぐに解読すべきものではなく、ただ気づくべきものとして。これは単なる外国人の反応なのか。それとも、問いとして生かしておく価値があるのだろうか。
地名を並べると現れるパズル
宮津という名前を、天橋立や神崎といった周辺の地名と並べてみると、何かが浮かび上がってくる。明確なメッセージでも、教義でもない。ただ、ひとつのパズルのようなものだ。さらに元伊勢という名の神社が加わると、その印象はいっそう強まる。英語で言うなら、「puzzling, isn’t it?」という感じだ。
すぐに意味づけしたくなる誘惑
最初の誘惑は、このパズルを素早くまとめ、分かりやすい説明にしてしまうことだった。「ここでは特別な何かが起きている」と言いたくなる。でも次第に気づいた。そうした読み方は魅力的ではあるけれど、この場所の生きた現実を覆い隠してしまうのだと。
私たちがつい導き出してしまう結論や、「理解したつもり」になっていることは、実は多くの場合、人生にかけられたフィルターのようなものなのかもしれない。それは真実に近づくためというより、生の強度を和らげるための、一種の麻酔のようにも感じられる。
頭ではなく、身体に届くもの
そして、ここで起きていることは、頭に向かって語りかけてくるものではない。理屈や説明通してではなく、身体に、感覚に、感情に直接触れてくる。言葉になる前の、非言語的なコミュニケーションだ。風の冷たさ、光の角度、潮の匂い、音の遠さ。それらは意味を持とうとしない。ただ、感じられる。
問いを解かないという選択
代わりに私が発見しつつあるのは、もっとシンプルで、もっと深いことだ。名前を説明しようとするのをやめ、問いを開いたままにしておくと、それらは別の仕方で機能し始める。解釈すべき象徴ではなく、静かな伴走者のように。何を考えるべきかを教えるのではなく、注意の向きをそっと整えてくれる存在として。
日常の中に流れている感覚
この感覚は、特別な瞬間だけに現れるものではない。Maison Julienの日常そのものの中に、静かに流れている。朝に厨房に立つとき、庭に少し手を入れるとき、誰かを迎えるとき。何かを考え込む前に、身体が先に反応していることが多い。
おもてなしは「演出」ではなく「注意」
「おもてなし」と言っても、何かを用意したり、形を整えたりすることではない。今日は何があるのか。今日は何が足りないのか。相手はどんな様子なのか。その場、その瞬間に耳を澄ませることに近い。決まった正解はなく、その都度、微調整していく感じだ。
毎日は決まらない
メニューも、庭も、人との距離も固定されていない。その日の天気、季節、海の状態、訪れる人たちによって自然に形が変わる。思い通りにしようとすると、うまくいかないことが多い。だから「コントロール」よりも、「様子を見る」ことが大事になる。
一番よく聞いているのは、猫かもしれない
ここで一番この空気に敏感なのは、うちの猫のフジちゃんかもしれない。音、気配、温度の変化、人の動き。彼女は何も考えていない。ただ、すべてを受け取っている。落ち着く場所に自然に移動し、ざわつくと静かなところへ行く。誰に教わったわけでもないのに、状況をよく読んでいる。
「パワースポット」とは場所の力なのか
この土地が特別だから、何か特別な力が「ある」のだろうか。それとも、ここに来ると、自分の感覚が少しだけ静かになり、開きやすくなるだけなのだろうか。
力はどこにあるのか
場所に力があるのか。それとも、私たちが力を外に預けすぎているだけなのか。
名前、地形、歴史に「意味」を与えることで、安心しようとしているのかもしれない。
「パワー」を別の角度から考える
もしここにある「パワー」があるとしたら、それは目に見えないエネルギーではなく、今ここで起きていることにどれだけ注意を向けられるか、という力なのではないだろうか。考える力ではなく、感じる力。説明する力ではなく、聞く力。コントロールする力ではなく、共にいる力。
問いを閉じない場所
そう考えると、パワースポットとは特別な場所ではなくなる。問いをすぐに解決しようとしなくていい場所。意味づけを急がずにいられる状態。
この場所が投げかけているもの
この土地が語っているのは、答えではないのかもしれない。あなたは、どこで、どんなふうに耳を澄ませているか。その問いを、今も持ち続けられるかどうか。