パトリス・ジュリアンのブログ

Patrice Julien's Official Japanese blog

瞑想――いちばん簡単なこと

私はもう何年も瞑想しています。始めたのは学生の頃でした。ある日、ふと感じたのです。人生は、このまま前に走り続けて、年を取り、最後を迎えるだけなのだろうか?」きっと、別の生き方があるはずだ、と。それから私は真面目に探しました。とても真面目に。

ほとんど考えられる限りの瞑想法を試しました。方法、姿勢、マントラ、イメージ、教え、思想、宗教。でも、後になって分かったのです。問題は方法ではありませんでした。

問題は、私の瞑想のしかたでした。

私はいつも、何かを期待して瞑想していた。何か特別な体験。何か深い気づき。何か「次の段階」。

期待は、瞑想の正反対だったのです。

瞑想は「すること」ではなく、「やめること」私たちは瞑想を、特別な行為だと思いがちです。時間をつくって。努力して。うまくやろうとして。

実際には、瞑想は努力が止まったところから始まります成功する必要はありません。良くなる必要もありません。到達点もありません。

呼吸していれば、それで十分。音が聞こえていれば、それで十分。ここにいれば、もう終わっています。

技法が、かえってややこしくする

多くの技法は、こう思わせます。「瞑想するには、何かを足さなければいけない」マントラ。イメージ。意味。信念。正しいやり方。それが一番の誤解です。瞑想は足すことではなく、引くこと積み重ねることではなく、ほどくこと。探せば探すほど、遠ざかります。

自然は瞑想しない。ただ、在る。

椅子は瞑想しません。山は集中しません。石は静かになろうとしません。小川は「手放し」を練習しません。彼らは「今ここにいよう」ともしません。なぜなら、他に行けないからうまくできているかも気にしない。意味づけもしない。ただ、在る。「在る」という言葉より前に。彼らのように、在てください。

問題は、思考ではなかった

瞑想とは、思考を止めることだと思われています。静かになること。無になること。思考は問題ではありません。音も問題ではありません。私たちを疲れさせるのは、起きていることへの終わらないコメントです。

コントロール。評価。こうあるべき」。そして、とても大事なことがあります。思考は、思考を解放できません。考えて自由になろうとするほど、考えの中に閉じ込められます。

方法のない、小さな問い

少しだけ、立ち止まってみてください。そして、こんな問いをそのまま置きます。この音を聞いているのは誰?呼吸しているのは誰?この身体を感じているのは誰?これを生きているのは、何?

答えなくていい。分からなくていい。これらの問いは、答えのためではありません開いたままでいるためのものです。

私」の前に、もう在る

「私が瞑想している」

「私が考えている」

「私が分かった」

その前に、すでに在るものがあります。何かが、知覚している。努力なしに。意図なしに。椅子は「私はここにいる」と言いません。ただ、います。あなたも、言わなくていい。今この瞬間で、十分

完璧な時間はいりません。長さも必要ありません。この文章を読んでいるなら、何かが読んでいます。呼吸があるなら、何かが呼吸しています。足すものはありません。引くものもありません。

瞑想は、人生を良くしない

重さを、取り除くだけです。コントロールが減る。緊張が減る。「ちゃんとした自分」を守らなくてよくなる。残るのは、シンプルで、自然で、最初からあったもの。石のように

石は、自分が存在していることを知りません。それでも、在ります。「今ここにいよう」ともしません。そんな言葉も知りません。ただ、在る。

それで、十分。