
雪が何層にも積もると、生活の速度が自然と落ちる。白い毛布に覆われた庭を眺めながら、私はまた、自分が選んだ今の暮らしについて考えていた。冬の静けさの中でも、心から気に入っている場所だ。
私が暮らしている宮津は、将来を数字で語られることが多い町だ。25年ほど先には、人口はおよそ5,000人になると言われている。つまり、ひとつの村。空き家が増え、商店は閉まり、夕方6時を過ぎると街は少しずつゴーストタウンのような表情を見せる。
多くの場合、こうした現象は「仕方がないこと」として受け止められる。社会の自然な流れだと。人は地方を離れ、都市に集まり、都市では空間がどんどん足りなくなっていく。それが当たり前だ、と。
流れに逆らって生きる
私の考えは、もしかするとナイーブに聞こえるかもしれない。でも、人生の大半を大都市で過ごしてきた私にとって、宮津での暮らしは、生活そのものを根本から変えてくれた。ここには、空間がある。人間的なリズムがある。満員電車での毎日の通勤はない。隣人との関係は顔が見えるものだ。人と人との距離が近い。自然との接点が、日常の中にある。挙げればきりがない。そして何より驚いているのは、この感覚だ。ここに来てから、私は初めて「本当に生き始めた」ような気がしている。
当たり前を問い直す
そんな体験から、ひとつの疑問が自然と浮かぶ。「自然は空白を嫌う」とよく言われる。だとしたら、なぜ人はこれほどまでに都市に集中し続けるのだろうか。これだけ多くの空間が、別の形で生きられるのを待っているのに。なぜ私たちは、自分たちを疲弊させるシナリオを、変えられない法則のように受け入れてしまうのだろう。
テクノロジーは、解放の道具になりうる
今の時代、テクノロジーは生き方を縛るものではなく、解放する道具になりうるはずだ。加速や管理のためではなく、自由のために。たとえば、テレワークを本気で再考するだけでも、さまざまな問題に答えが見えてくる。高すぎる家賃。都市の空間不足。エネルギー問題。環境汚染。慢性的なストレス。同時に、それは、今まさに衰退しつつある場所に再び命を吹き込む可能性も持っている。皮肉なことに、そうした場所こそ、より豊かな生活を提供できるのに。
シナリオを書き換える
人間というのは、つくづく不思議な存在だと思う。社会が変化し、明らかに無理が出てきているモデルであっても、私たちはそれにしがみつく。慣れているから。考え方そのものに、いつの間にか催眠をかけられているからだ。もしかすると今、私たちは本気で生き方を根本から見直す時期に来ているのかもしれない。-懐かしさのためでも、過去に戻るためでもない。より人間らしい方向へ進むための、必要な進化として。もっと快楽的でいい。もっと呼吸できる余白があっていい。人との距離が近く、自然と調和した生き方があっていい。
この場所での暮らしが、ひとつの明確な事実を教えてくれた。別の生き方は、理想論ではない。すでに可能性として存在している。ただそれが、私たちの目の前にありながら、まだ気づかれていないだけなのだ。